2016年4月19日火曜日

歩んでほしい


ここんとこ気持ちぐるぐる。地震の報道で不安や無力感が募る。
気の毒だし、がんばってくれ、やれることはやってあげたいと思う一方でシビアに明日は我が身とも感じている。


優先順位の高いことからかかっていくから、最低限足りた暮らしになるまではしばらく時間がかかるだろう。
水も食料もまだ全然じゅうぶんには行き届いていないが、かといってやみくもに外の人間が動いたところで公的組織や当事者たちの邪魔になる恐れもある。
こういう時には本当に「でかい単位で」動ける組織や企業の力がものを言う。
そのあとでようやく、小さな単位で細やかな支援ができる人たちの出番が来るのだろう。


さしあたりなにもかも足りないサバイバルな暮らしを強いられることになるが、その日々はある程度時間が経てば解消される。
最低限のレベルでは、って意味。


どうにか渇かず飢えず、衛生面も安定して当面の危機を脱したら次はあったかい布団で眠りたい、お風呂に入りたい、その他たくさんの「当たり前の日常なら当たり前に享受できていたこと」ができない現状にストレスが高まるだろう。


次に大変なのはそこから。震災から日が経ち人々の興味は薄れ、でも失われたものが戻ってくることはなく、途方に暮れる明日が続く。
ことに積み重ねてきたものの多い高齢者の絶望はいかばかりかと思う。



人の興味は移り変わりが早い。自分に直接利害の少ないことならなおさら。
だからいまは九州がんばれとか心配していますとかあんまり言いたくない。



ただ、痛んだ心が簡単に癒えないことは知ってるから
そしてこれから先も、幸いにも残酷にも続く明日があるから




人は強い。あきれるほど強い。


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