2016年6月22日水曜日

DRY or WET


比較的ドライに見られることが多い。リアルでもネットでもって意味。


だが実際は全然ドライじゃない。

大事にしたいモノへは浪花節も真っ青の暑苦しさで愛を注ぐ。

そしてどうでもいいものでさえ、袖触れ合った他生の縁と思えばぶった切るのも惜しい気がする。



話はだいぶさかのぼるが、18の歳までわたしは某信仰を非常に熱心にしていた人間だった。



人生の目的はすべてそれだったし、人生設計もそれ一色で塗りつぶされていた。
努力の中身すべてがそれのためだった。


その努力のひとつに「友達をたくさん作る」というものがあった。
いずれ大人になった時、その信仰上で友人は多ければ多いほど有利だからだ。
子供心に「将来に役立てるための友人作り」にせっせと励み、年を経るごとにスキルは上がって行った。


先天的なものももちろん少なからずあるだろうが、わたしの「異常なほどの社交性」は間違いなくこの頃に培われたものだ。
離脱して20年以上経つ今となっては使い道もないが、身に着いた社交スキルは意外と役立つ場面は多い。



何も考えずに常時自然に発揮されるこのスキルに我ながら呆れることもしばしばだが、考えてみれば当然だ。



世の人達は多かれ少なかれ幼少期から青年期までに夢中になったり技を磨いたりした何かがあったろうと思う。
わたしはソレが社交スキルだったと言うだけの話。
そんくらいのレベルには至ってなければそりゃ逆に困るわな。18年せっせと何してたんだって話だもんな。



だいぶ本筋から遠くに来てしまったが、そういったいきさつのおかげでわたしは本当に誰とでも仲良くなれるし、誰をもイヤな気分にさせず、つかず離れず付き合いを保つことも出来る。
それを当人が望む望まないにかかわらず、自然発生スキルなんだからしょうがない。



だが当然人数が増えてくると抱えきれなくなる。
行き届いたケアもできなくなるし、中途半端に対応するのも嫌だ。



自然と人数は絞られていく。
そうして万全のケアができる程度の人数まで絞った後は、ドライはゼロだ(本人談ってビールのCMか)。



とはいっても、わたしの最優先事項は結婚からこっちまるでぶれずにずーっと旦那様だ。
第一義をなによりも過保護にケアするため、大事に選別した友人さえも平気で何年もほったらかしにすることもしばしばある。



逆にいえば、 そうして離れているうちに疎遠になってしまう人はそれまでだってことだ。


本音の部分では手放したくない。
だってドライじゃないもん。究極ウェットだもん。
情の塊みたいな蛇女だもん。


だから繋ぎ止めておける方策があるなら手は尽くす。可能な範囲内で手は尽くす。

でも、それにかまけて第一義がおろそかになるくらいなら全部失うほうがましだ。




意外か意外でもないかはわたしを外から見る人の評価だから知りようもないが、


わたしはとっても愛情深い。

異性同性かかわらず一生懸命に愛して尽くして、自分も相手もダメにしちゃうタイプだ。



ダメにならずに根気よく精神的にサポートしてくれる旦那様がいるからこそ、わたしはわたしらしく生きることが可能になっている。



不惑目前にしてまだまだ自分の感情に振り回される青二才。

無駄に身に着いた社交スキルでだれかの助けになれる日がいつか来るといいのだが、はてさて。

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